Fliegerchronograph:ドイツ初の一本(1941年)
ザクセンの銀行が、経営破綻した懐中時計工房を再建するため若い法律家をGlashütteに派遣した。彼はドイツ初のクロノグラフ腕時計を作り上げることになる。
1920年代半ば、ザクセンの銀行がDr. Ernst KurtzをGlashütteに派遣した。若い法律家だった。任務は債務の再編である。この町の懐中時計産業は第一次世界大戦中に崩壊し、市場は二度と戻らなかった。
Kurtzは帳簿の整理にとどまらなかった。経営難の工房をUROFA-UFAGに統合し、懐中時計から腕時計への転換を図り、機械生産を導入した。1930年代にはGlashütteで1,000人を雇用するまでになった。最も優れたモデルに「Tutima」の名を与えた。ラテン語のtutissima——「最も安全な」——に由来する。20年の間に、自社で12のキャリバーを開発した。
12番目のCalibre 59は、フライバック機能を備えた手巻きクロノグラフムーブメントだった。1941年からLuftwaffe(ドイツ空軍)向けに製造されたFliegerchronographに搭載された。その後4年間で約30,000本が生産された。Kurtzの兄弟Walterは試験飛行士であり、航空とのつながりは契約上のものだけでなく、個人的なものでもあった。ドイツ初のクロノグラフ腕時計はTutimaだった。
1945年5月、連合軍の爆撃がGlashütteの工場を破壊した。ソ連軍が残りを解体した。Kurtzは1951年にニーダーザクセン州Ganderkeseeに移り、再び一から始めた。1954年、Dieter Delecateという19歳の若者を雇った。
35年が過ぎた。1989年、TutimaはNATO Chronographのパンフレットを制作し、そこに1941年のFliegerchronographの写真を掲載した。Jörg Delecateはこう語っている。「人々は言いました。『いい時計だ。これを作ってくれたらすぐに買うのに』と」
1994年、TutimaはFlieger Classic Chronographを発表した。1941年のオリジナルを忠実に再現し、改良型Valjoux 7760ムーブメントを搭載した。ドイツの主要紙Die Weltが機械式時計の復活を一面記事で報じた。写真に使われたのはTutima Fliegerだった。
この時計はTutimaで最も売れたシリーズとなった。Ernst Kurtzはそれを見届けた。当時95歳だった。彼は1996年、97歳でGanderkeseeにて逝去した。生涯独身で、子はなかった。以来、Delecate家が会社を経営している。